私の凄い人part2 棚橋弘至
うす!百年にひとりの逸材棚橋弘至です
私の凄い人2は棚橋弘至です
彼を知ったのはもちろんプロレスです
海の日にビッグマッチをやるというのが恒例だった新日本in北海道
テレビでは沢山見ていましたが、初めて生で観た新日本プロレスは
2008.7.21 メインは中西学VS武藤敬司のIWGPヘビーの月寒グリーンドームでした
当時の新日本プロレスは迷走に迷走を重ね、やっと良くなってきたくらいの時期だったと思います。とはいえ、ワールドプロレスリングで観る会場はいつもガラガラで、月寒も一層ガラガラで、白い席がやけに目立つ感じでした。
そんな日に、休憩時間に入ってきたのが欠場中の彼でした
棚橋弘至は知っていたけど、初めて観たのはスーツ姿。
ダダ滑りしたマイクでしたが、どことなく、棚橋いいじゃん!と思ったのを覚えてます
気付けば『愛してま~す!』と叫んでいて、来年帰ってこいよ~と叫ぶとうんうん。と頷く感じが印象的でした
翌年2009.7.18彼はIWGPチャンピオンになってメインイベントで札幌に帰ってきました
相手は杉浦貴。棚橋大応援です!!
初めて観た棚橋弘至の試合は、とにかく受ける受ける受ける。
途中でアクシデントになったんじゃね?とか死んだんじゃね?と思うくらいの試合展開だったと思います。
でも、スリングブレイドからのハイフライフロー
ハイフライフローもダイビングボディプレスじゃん!くらいに思っていましたが、ハイフライフローはハイフライフローであって、ハイフライフローは棚橋弘至
試合は棚橋弘至の勝利!試合後の彼を見てどこか昔の体質を抜けきれない
『プロレス界に差し込む光 マジで太陽の天才児、、、じゃねーか、、』と感じましたね
直後TAJIRIに襲われたのですが、とてもプロレスをしていてこれまた最高でした。
翌年、また翌年と彼は帰ってきました。1年ごとに見る新日本プロレスの札幌の印象はお客さんが増えているなぁと感じましたね
ビッグマッチをしなくなった時期もありましたが
いつしか会場はきたえーるへ移り、興行も冬と夏に来るようになりました。
G1開幕の舞台になったりもしましたが、タイトルマッチは出し惜しみするくらいにまで巨大になった新日本プロレス。
昔は1日でJrヘビー、Jrタッグ、IWGPタッグ、IWGPヘビー、遺恨マッチなどなど、WWEでいう特番級のマッチメイクでマジで盛りだくさんだったので、とてもさみしい限りですがここまで来ると、ホントにもう老若男女です。
若い男の子や女の子のグループ、カップル、家族、そしてもう僕のような、ひとり観戦者!皆各々にプロレスを観に来ています。
沢山のレスラーが頑張ったからこその功績ですが、棚橋弘至の成長と共にこの光景を見れたのは、ファンをしていた僕の宝物です
新日本プロレスすげぇ~となり、さてどうなる!となった昨年。
このコロナ禍で集客は制限され、歓声も制限され、フルハウスに埋まっていた後楽園や大田区体育館もガラガラです
棚橋弘至、新日本プロレスが築き取り戻した熱気が、音をたてて崩れているようにも感じるけど、コロナが明けたら、棚橋弘至がやったように次はファンの力で熱気を取り戻せたらかっこいいなと思います。